中庸について考えた。
まいどです。
でくのぼうちゃんです。
中庸で生きるには
中庸で生きようとしたら中庸で生きられないジレンマがおきるんでしょうね。
中庸・・・極端な行き方をせず隠当なこと。片寄らず中正なこと。
黒白つけずにグレーな状態をどう受け止めるか。
けっこうこれはなんともいえないモヤモヤを残すことになりますが、どちらか悪いか悪くないか裁かない、裁く必要がないと考える必要があるなあと思っています。
人と付き合っていくのにどちらが悪いかを歳を重ねるごとにやってしまって「自分は悪くない」という麻薬みたいな思いに自分を誤魔化そうとして安心を得ようとしてしまう。
または、「自分が悪い」というこれまた麻薬みたいな思い。この思いを持っていればなにか人生を一生懸命やっているような気になる。
眼の前のことに一生懸命すると思いやるけど、その思いは黒白つけたいがために動いた結果であれば片寄った感じになるし。
しかし、その片寄った感じを理解していなければそれに気付けないし。
思った感情を流したり忘れたりすることも大事
感情にとらわれていたら結局時間はそこでとまってしまい、自分の成長もとまる。
ならば流したり忘れたりしたほうが、前にすすめていいのではないか。
その出来事によりけりだとは思いますが。
水の流れは同じ流れが一度もないわけですから。
しかし、原因があるから結果もある。
まとめ
今まで感情の吐口にブログをしていたのでそれをやめようと努力したら何を書けばいいか思いつきません(笑)
そんな写真をパシャパシャとっている生活でもないので、写真もアップできない。
しばらくブログの方向性について模索します。
ほな、また。