でくのぼうちゃんのブログ

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やっと読めるように

ゆるすということ (サンマーク文庫)

やっと。

まいどです。でくのぼうちゃんです。

やっと読めるように

1年に1回、小学校に提出する書類のためにアレルギー科に息子と行ってます。

今の状態はどうだ?を検査してもらうのですが、私がその病院に置かれている本で手にとるけど読めない、ページをめくれない本がありました。

 

かなり読まれているのかボロボロですが、その本はまだありました。

前まではタイトルだけで、「ゆるすなんて!」と思っていましたが1年に1回なので、その1年にいろんなことがあるわけです。毎年、心境は変わってきます。

去年はまだ、ゆるすなんて!とパワハラで受けたことなどを思い出していましたが、この本を最近読み直してまして。

 

ヒューレン博士の「自分自身をゆるす」という語りに自分の中のどんな気持ちがあるからゆるせないのかを考えるようになっていました。

今、今年から始めよう!ということを仲間たちといろいろ話してまして、生きることに愚痴や文句をいっている暇はないということを実感することが多くなっていました。

そこで息子の正論ビームという表現を受け、私はどんなビームを出してしまっているのだろうかと考えていました。

先日、とある方と仕事の話をしていましたら、「私は悪くないわよビーム」を思い切り出されまして。

そんなことを聞いているんじゃない!と思いながら私の質問の仕方が悪かったのか?と考え、言葉を変えてお伝えをしたら、ちょっとわかってもらえた?感じで話はできましたが。

私から発するビームが周りにどう影響しているか。

それから人とのやり取りの中で、どうも私から発するビームは「私は正しいことをしているわよ!聞いてよ!」ビームではないかと見えてきました。

そのビームを無意識で発するのと意識的に発するのは違うよな!とちょっと楽になってきました。

ゴーマンがましてよかですか?!

ゴーマニズム宣言の本があるように、自己主張してよかですか?私正しいことしているのよ!てアピールしてよかですか?と言ったらよいわけで。

正しさよりも幸せを求める

なぜ正しさを求めるのか

そこで「ゆるす」のキーワードが大事だなと。

私の受けたことなんて愛する人を殺されたわけではないのだから、ただ恥をかかされた、やってないことで呼び出しうけてあなたは悪いといわれただけですから、認めてもらわなかったことに対して、自分を責めてもしかたないわけで。

そんな相手に認めてもらわんでも見ている人はいるわけで。

いつか相手に嘘はいけないということをわかってもらえばとは思いますが。

そんな相手のために一生懸命言い訳をしようとした自分を許せなかったかもしれません。人をみる力がなかった。

尊敬できる人の下で働いてなかった、困窮状態を作ってしまった自分自身をゆるせなかったかもしれません。

そんなことを思いながら、やっとページをめくることができましたよ。

人生完璧には生きられないんだよ

ほな、また。

 

 

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