forgiveそれは、許すということ。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
「許す」ということ
小さいことは、「どうして大人はすぐに許してあげないのだろう」と思っていました。
怒っている時間がもったいないし。
自分にもマイナスだし。
許してあげるほうが楽。
そんな考えがありました。
しかし、大人になりパワハラやらいろんな出来事があり、心底腹が立つことがたくさんありました。
また、簡単に許すことによって「人のことをなめる」人の存在も知りました。
「簡単に許す」ということが簡単にできなくなってきました。
人に対して腹が立つのと同時に自分に対して怒りを覚え、それを見抜けなかった自分の無力さを感じることが出てきました。
自分に対しての怒りがあればあるほど、人を簡単に許すことができなくまりました。
簡単に許すことは相手のためにならないという思いも出てきました。
「許す」という行為は口で言うのは簡単だけどかなり高度な技術であることがだんだんわかってきました。
「許す」行為の裏に大きな何かが必要。
しかし、怒りをもっている相手に大きな何かを持つことは難しい。
子どもがすごいのは「許す」ことを簡単にできるところ
「許す」ことが簡単にできなくなってしまった大人に対して、子どもは簡単に許すことができる。
そんなことをされるとなにか心の中でコチコチに固まっていた何かが溶け出す。
もう食べないと思っておいてあったおかずを食べてしまって「ごめんごめん」と言ったら「もう、いいよ」
気にいっている靴を踏んでしまったときも「もう、踏まないでね」
パワハラをした上司に「もうしないでね」なんて言えない。
怖くて言えないってのもあるけれど、やっぱりどこかで許したくない自分がいる。
親にされたことなんて、自分が親になったら「ああ、そうなるわな」と許せる。
やっぱりその立場にならないとわからない。
まとめ
なぜ、そんなことを突然思ったかというといつも息子を連れて行っている病院でこの本を読んだからです。
ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない (サンマーク文庫)
- 作者: ジェラルド・G.ジャンポルスキー,Gerald G. Jampolsky,大内博
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2006/06
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この本を読んで以来、許すとはどういうことかなーと考えるようになりました。
しかし、この本が書いているように簡単に許すことはできませんよ。
別に被害者意識を引きずりたいわけでもないんですがね。
無力な自分を他人を怒ることでごまかしているといいますか。
許すことで自分の価値観が壊れると思い込んでいるといいますか。
怒ることで自分のアイデンティティが保たれるといいますか。
ただ、時間がたつことに「怒り」は汚れていっているなという感じがします。
悲しみではないんですけどね。
「許す」ということを子どもから学びたいもんですな。
ほな、また。