こうやってコツコツ一人でする勉強は苦手かも。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
人から何かを学ぶということ
私は月1回、釜ヶ崎お茶会ゼミというものを開いております。
二月は結果、家族と良好な関係が築けているかというところに焦点があたりました。
「結果」と書きましたしたが、いつも方向性を決めずにだらだらとやっておりまして。
そんなダラダラ的な勉強会に講師をしてくれている小西先生も「もう、わしいらんやろ~」と頻繁に言われるようになってきている感じとなっております。
方向性ないのもいいか~と思い、もう受け身状態で進めていたんですが、さすがに受け身すぎたようです。
そんな勉強会ももう2年。ようやってこれたなー。
先生も「俺、なんで呼ばれている?」みたいに思っていはるんですが、先生がお話される内容や指摘はまあ、軸がずれてなく問題点にずばっと入るわけです。
相手を見て言葉を選んでいる感じもするし。
「乞食路線」でいろんな活動をすること
先生は「私は乞食路線でしている」ということを頻繁にいいます。
先生ではないのでなぜ先生が「乞食」という言葉を使うのかはわかりませんが、
自分がその立場になって人に物を乞うた時、自分の価値を受け入れているのだろうかと考えることがあります。
それが怖いから、サラリーという雇用形態を選んできましたし、今でも委託形態という形で毎月の頂ける金額を契約書という形で話あって決めてます。
先生はそんな最初から金銭の話などせず活動する。
それで生活ができているようです。詳しい話は聞いていませんが。
まだまだ未知な部分が多い先生です。
その先生の価値を生かすも殺すも、呼んでいる私次第だなと最近気づきました。
すみません、遅くて。
で、今年入ってからのお茶会ゼミはだらだら超受け身はとりあえず避けようと試行錯誤しておりました。
4月からのお茶会ゼミ
先生が作られた組織で「コミキャン100人委員会」という組織があります。
その組織が出されている広報誌に「こみきゃんぐるーぷだより」というものがあります。
それを私は度々もらう機会がありまして。
改めてそれを読み直しました。
そしてそこに書いてある内容で私の心がピクッとなった部分がありました。
この詐欺師社会で、公然と金と権力の横暴がきれいごととしてまかり通るようになった。~省略~金と権力で、いじめられ、虐待されてきた人たちはどんな抵抗をしようとするのか?江戸時代の末端では「仕事人」(中村主水)に頼んで「恨みを晴らす」というシステムも例外的にはあった。
しかし、金や力を持たない弱い立場にある「暴力に対してあくまで非暴力で対抗するには」と考えて、日本人の多くは、圧倒的な別の抵抗の仕方を選択している。「恨む」を持ち続けるという行為である。
この行為を高度に練り上げ一つの技術として完成させていったのが密教僧の「慈円」である。「愚管抄」の道理と「加持祈祷」の非道理の両刀を使い、理不尽な権力の横暴に対して《呪い殺し》と《慰撫鎮魂》を心得、それを実行していた。
「新古今集」に九一首の歌を詠む人であり、言霊の威力を誰よりも確信している歌人だった。超論理の「怨霊」(非暴力)が、相手の心胆を寒からしめる目に見えない武器になっていく。
この「非暴力主義」が日本の特性である「平和」を実現してきた。それは「天皇制(公家的な立場)」と「力と金の体制(武家的な立場)」を見据えて、慈円は「坊主」として、それを調整していた。このバランスの上に「日本独自の平和」が成立する。
こみきゃんぐるーぷだより第3号 2014年6月1日発行より
私がかねてから考えいていた「憑く」という文化の衰退が日本にどのように影響しているだろうということのなにかが見えてきそうな文でした。
4月からはこのことについて何か勉強できたらいいなーという思いが湧いてきました。
で、4月のお茶会ゼミは「慈円」のことで話せたらいいかなと思っています。
うまく、進行できるかはわかりませんが。
詳細
日時 4月2日(土)午後1時~午後3時
場所 西成市民館3階会議室B
西成市民館住所
費用 300円からのカンパお願いいたします!(資料代講師代などにあてます)
「恨みを持ち続ける行為について考える」
どうなるかわかりませんが、ご興味がある方ぜひ。
id:keisolutions様、いつでもウエルカムカムです。
関西にくる用事があるときはぜひ(^-^)
ほな、また。