家族との関係性。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
2月お茶会ゼミ報告
先日、2月のお茶会ゼミを開きました。
お題は特に決めず、名札には自分の名前をかかず、「今、何をしている人か」を書いてもらいます。
そこから自分が何をしているかを自覚してもらったり、自分を分析してもらったり。
その「今、何をしているか」を見て周りはその人に質問をしていく。
けっこう、難しいもんですね。進行は。
相手を責めてはいけないし、かといって流せないし。
小西先生にも「今、何をしている人か」を書いてもらったら、このゼミの今は「考える」人だとこと。ほんと、今を生きていますよね。
私も考える。
私は「わからないことは素直に聞く」人にしました。
しかし、この「聞く」ってことが相手を責める可能性もでてくる。
いかに純粋に聞けるかを考えました。
参加者から今、家族皆が集まる時を作ろうとしているというのがありました。
私より若い人でした。
私はその話を聞いてびっくりしました。
家族と仲良くするという発想
私はその発想が湧くことがびっくりしました。
なぜなら、それは家族が仲良くないと感じるないと動けない。
家族が仲良くないって他の家族と比べられるか?
そう思いました。家族はオンリーワンです。
関係が良好であるもないもそんな比較なんてできない。
ただ、小西先生は言います。
「一番長い付き合う家族と良好な関係を築ければ誰とでも良好な関係は築ける」
依存せずに、自立した関係が作れるかということです。
私には兄弟がいますが、まあ今喧嘩中でして。
喧嘩といいますか、「なんで私があやまらなあかんねん」という流れです。
親からはよく「あやまってほしい」と言われていますが、その度に「なんで私があやまらなあかんねん、あやまってほしいのはこっちや」と返します。
親からしたら血がつながったたった一人の兄弟だから仲良くしてほしいとのこと。
親もその兄弟の愚痴を私にずーと言い続けてきているわけです。
いい印象なんかありません。
しかし、小西先生はいいます。
「共犯関係だからね。被害者づらしてもね」
そう私の被害者づらは逃げたいがゆえの被害者。
人のせいにすれば楽です。自分は努力しなくていいんですから。
そうやってずっと兄弟のせいにしていれば楽です。
しかし、いい関係性は築けません。
だが、「やれ」と言われて「そうですか」とすぐに関係性を良好にできるのなら、もうしています。
できないのは自分がまだ経済的に安定してませんし、自分のせいと認めるにはちょっと精神的にいっぱいいっぱい。
かと言って兄弟のせいにずっとしていくわけにもいかないとわかっています。
親からも自立していません。
色々と頼みます。使います。親しか甘える人いませんし。
親からしたら子どものいいなりになっていたら共倒れしてしまうと思ってしまう。
でも、子どもが大変ならばなんとかしたいところでしょう。
まとめ
今回のお茶会ゼミは「家族との関係性」に焦点があたりました。
家族と自立した関係であれば人間関係は上手くいく。
ただ、54歳の人と44歳の私とではどうも社会的に「家族との関係性」を「人と向き合うこと」が出来るかできないのが違うようです。
私の時代はもうなんでも物がある時代に突入して、1から何かを作り上げる発想が困難な時代とのこと。
そういった環境も人とどのように向かい合うか自立した関係性が気付けるかどうかに影響があるのかと自分の家族と良好な関係を築けない私が悶々と思うのですよ。
ほな、また。