でくのぼうちゃんのブログ

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孤独死について:クリスマスの日に孤独死について書いているブログなんてどこにもないだろう

誰かが私の人生を見ているんではないかと思ったことがあった。

 

前回の投稿で孤独死のことについて公開した。

 

昨日、一人暮らし50代男性の隣人が亡くなっていた事実を知る。 - でくのぼうちゃんのブログ

 そしたら、今日、12月4日に放送されたキャストという朝日テレビの番組の

「最期独りにしない・・・西成、見送りの会」の録画を見ることになった。

かなりびっくりした。

どっかで私の人生を見てコントロールしている人がいるのでは?

本気でそう思ってしまった。

その内容は釜ヶ崎の男性単身の高齢者の方々が

死んだあとのことを考え「見送りの会」に入会し、仲間がなくなれば

見送り、花見のときには見送ってくれる仲間とすごし、死について考えて生きている

姿を描いたものだった。

その画面に映っている人たちはほとんど知っている人だった。

「見送りの会」とは、キリスト系の団体が多い釜ヶ崎で、仏教系として見送りを

考えてもいいのではないかと考えたお坊さんが立ち上げた会で、いまは会長や

副会長は釜ヶ崎のおっちゃんたちがなっており自主的に運営に関わり

釜ヶ崎に根付いている団体である。

不思議なことに釜ヶ崎は仏教系の団体の目で見える支援が少ない。

日本なのに。(こう書くと語弊があるかもしれないが)

 

死に向かい合うということは生に向かい合うことなのか?

その映像を見て、死に向かい合うということは生に向かい合うことなのかもしれない

ということを感じさせられた。

編集する人がどのような意図があって編集されたかはわからないが

見送りをしてくれる仲間に裏を作らずそのままの自分を出すということを

されている人がいるという姿が映っていた。

死んでしまったら地位も名誉の関係ない。財産も権力も関係ない。

生まれたときの状態にもどる。

まるで銭湯にいる者同士、肌と肌とのふれあいとなるように思う。

結局、重要となるのはどのような心で人と向かい合うかということではと思った。

葬式のことを考えるということは死に対して向かい合うことであり、

心の無意識などこかに死んだらなにも持っていけないということがわかっていて

生きているうちにその心を持っていないと死んだらすぐにそんな心になるかと

考えるとすぐにはならない。そんなことを無意識にわかっているから

葬式のことを考えることは重要なのかもしれないと思った。

しかもそれは、自分の為だけではない。

会という組織に所属することにより仲間というものを考えることができる。

組織に所属することにより「一人ではない」という安堵感が生まれる。

この会に入っている人たちは「孤独」のつらさを心底味わっているから「見送られる」ということにこだわりを持つのだろうか?そういう思いがでてきた。

釜ヶ崎ではない地域ではどうだろう?

昔だったら各家庭、どこかの寺の檀家に入っていて死んだときのことを

日常うっすらと感じさせてくれていたかもしれない。

しかし、戦後宗教というものにどこか敏感になってしまった社会が出来上がっていて

檀家というシステムも崩壊しているのでは?と思う。

私の実家では盆にお寺さんが来るというのは知っているが私自身どこのお坊さんが来ているかは知らない。

お墓も場所は知っているが自分がそこに入るかは嫁にいった身なので

「入らない」が答えになるかもしれない。しかし、じゃあどこに入るの?と聞かれると考えていない。旦那の実家の墓は関東だし、前からそこには私は入らないとなぜか

決めている。だんなはそこに入ると決めている。

死というものにきちんと向かい合っていない自分がいる。

いつかは死ぬとわかりながらも。

しかも、孤独死となると「変死」扱いとなり解剖にまわされすぐに家族にひきわたされるかといえばそうではない。

また、生活保護を受けていての孤独死となればシステムにのった葬式となる。

だれにも見送られずひっそりと埋葬される。

どこそこの寺でこういう葬式にして誰に連絡をしてほしいということを書いた

紙をペンダントトップなどにいれて首からつっておかないといけないのか?

そんなことを真剣に考えてしまう。

葬式の面倒まで見る関係

この関係って結局裏表を作らない、壁をつくらない関係でないと無理だと思う。

24時間、なにかあったときに駆けつける。

ほんとに向かい合った関係。

そういう関係を「家族」という人が多いのだろうけど。

上記のおっちゃんたちは「見送りの会」なんだろうけど。

私は、だんなが24時間なにかあった時、たぶん駆けつけるだろう。

葬式もするだろう。

だんなはどうだろうか・・・。

なんか、適当にされそう・・・。しかし、私は誰に見送られたいだろう?

私が死んだら見送ってくれるのかな?みんな。

そんな変なことを考えた。

そう考える人ほど長生きするから、まだまだ死なないだろうな、私。

 

まとめ

世間では「ハッピーメリークリスマス♪」なんて浮かれているこんな日に

まさか「死」についての投稿をするとは思わなかった。

聖なる日だからまあ、いいか・・・。

 

ほな、また。メリークリスマス♪

 

 

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