minimumですわな。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
はてなブログをやり始めてミニマリストという言葉を知った
それまでミニマリストのミの字も知りませんでした。
はてなブログを読んでいると頻繁にでてくるのが「ミニマリスト」。
なんじゃいなと思って調べますと、「minimum」が最小限、最小。
最小限主義者となるようですね。ますますなんじゃそりゃと思ってましたが、
はてなブログでいろんなミニマリストさんのブログを読んでいるうちに慣れてきました。
普通に会話にも取り入れてました。
上司にも
「なんかあいりんのドヤで住むという考えをもっているミニマリストっていうのがいるみたいですよ」
上司「ミニマリストってなんですか?」
私「物をもたないのを美徳としている人たちのようです。」
そんな感じで会話に取り入れていました。ミニマリストはそんなんじゃない!と思われた方すみません。いろんなブログを読んでそう感じたもんで。
釜ヶ崎お茶会ゼミにもお題にあげてみた
私は月に1回釜ヶ崎でお茶を飲みながら思っていることを話す「お茶会ゼミ」というのを開いています。
講師は小西しゅんよう先生。
誰なんですか、その人は?という方がほとんどと思います。
表舞台には出てきません。
ただ、人に対しての影響力はすごいと私は思っています。
専門は世界情勢。
昔はコンサルでかなり稼いだようですが(笑いながらの本人談)、今は乞食路線で住む場所もない働く場所もないでもなぜか全国や世界をうろちょろしている方です。
見た目は仙人のようです。
うろちょろしているのは引きこもりと呼ばれている人の家族との対話をされているようです。
枠が作れません。枠がありません。固有名称でレッテルを張れません。
そんな方を読んでの釜ヶ崎お茶会ゼミ。
詳細はこちらに書いています。
テーマは「人生において生きていくのに最小限必要なもの」
ミニマム(最小限)に必要なものを話し合おうと思ったんですが、その発想自体がアウトということでダメ出し。
そんな必要なものはなにをやるかで変わるわいと軽く一喝されました。
ははは。
で、そのお茶会ゼミで「一遍上人」という人の話題が出てきました。
それは誰だろう?と家に帰って調べました。
一遍(いっぺん)は鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号で、法諱は「智真」。一は一如、遍は遍満、一遍とは「一にして、しかも遍く」の義であり、南無阿弥陀仏を一遍(一度、一回)唱えるだけで悟りが証されるという教義であり、智は「悟りの智慧」、真は「御仏が示す真(まこと)」を表す。
宗教とは無縁に生きてきてますのでまったく?です。
遍くとはひろく、すべてにわたって。
一回すれば全部わかりますわということでしょうか。
なぜ、ミニマリストの話に一遍さんがでてくるのか?
一遍さんとミニマリストの違い
一遍さん最低限必要なものだけを持って歩き念仏を唱え、踊り、念仏札を配る游行の生き方をされたようです。
何かをするために最低限必要なものをもつ。
今の世に生きていたら「ミニマリスト」と言われるのでしょうか。
いや、お坊さんでしょうね。踊念仏をされる。
ではミニマリストという名称はなぜそんなに広がったのか?
物があふれている時代にその物に流されずに最小限という選択をすることができるところに魅力がわくのでしょうか?
なんのために最小限選択をしているのか?
その考えを人に広めることによってどんな社会をつくりあげたいのか?
レッテルを張るなら「最小限物選択実践者」?
まとめ
案の定、答えをだすほどの知識は持っておりません。
私が知らないことは世の中にたくさんありますね。
私は健康のために楽しく生きるために私に必要なものはなんだ!と考えております。
時たま、あいりんのおっちゃんから生きるための智慧話などを聞きながら。
ほな、また。