でくのぼうちゃんのブログ

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考え方:被害者意識には個人的共感、加害者意識には連帯的共感が必要かもしれないと思った。

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photo by cobalt123

犬と人間、共感しているんでしょうか?

 

まいどです。でくのぼうちゃんです。

被害者意識と加害者意識を受け入れることについて

先日、このような記事をアップしました。

 

dekunobouchang.hatenablog.com

 加害者意識のないジャイアンと被害者意識のないのび太について感じたことを書いたわけですが、書いた後被害者意識と加害者意識ってなんだろーなーと思うようになりました。

私の長所といいますか短所といいますかわかりませんが特技の中に、「気持ちによりそう」というのがあります。

スキルでいうと「共感能力」となりますね。相手の話を聞いて気持ちを自分のように同期化してしまう。

カウンセラーの学校に行っていたときにはこれが結構役立ちました。「なぜわかるの?」と逆に質問されてしまう。何故と言われても・・・てな感じです。

カウンセラーを目指した動機が不純なことだと勉強しててわかったので「この道はないな」と思いやめましたが。どうしても動機が気になる癖があります。

話は元にもどりますが、この被害者、加害者意識というのは感情の部分になるわけですがこれが起きないとなんも問題がない人生になるわけです。

しかし、人生そんなにかっこいい生き方ができるかといいますとそうではなく、口には気にしてないといいながらも心の奥底ではどちらかの意識が生まれていることのほうが多いと思います。表面でごまかしていても心の奥底では納得してないわけですから無意識に出てくる言葉がそんな感情を表していることもあります。

私はその心の奥底の感情に寄り添うことによって問題が進むのではと思う人です。

しかし、そう思い出したのはつい最近から。

昔の私は被害者意識、加害者意識を持つことを自分に許していない部分がありました。だからそんな人の気持ちを寄り添うどころか批判してしまう。気持ちを否定してしまうわけです。そんな意識持ってはいけないと。

しかし、何かを守るという意識は被害者意識を持たないと生まれてこないわけです。

母性本能は被害者意識(やられた)を受け入れたときから生まれてくるのではと子どもを産んでしみじみそう思うようになりました。

そうなると加害者意識(やった)はどうだろうと思いました。

共感する気持ちってだいたい被害者意識が多いのです。カウンセリングなどでは傷つく気持ちによりそうわけですから。傷ついているのです。

 

加害者意識の一つ「迷惑をかけた」について

加害者意識の一つに「迷惑をかけた」があるかなあと思いました。

「迷惑をかけないように」を常に思いながら生きる。

すると本能的になにか欲求がセーブされる感じがします。

これが度が過ぎるとなにも出来ない。

先日、旦那がTVをみてまして確かお題が「号泣裁判」。

その中の一つに親の介護を見ていた子が貧困のあまり親を殺すといった裁判の話がでていました。

親が認知症になりその面倒を見るために会社を辞め、収入を得られず生活保護の申請に行くも失業手当をもらっているからという理由で断られ生活は追い詰められ、最後は親の首を絞め自分も死のうとしたが死にきれず・・・。

 

その人は昔から親に「人に迷惑を掛けないように」と言われてたそうです。

だから親戚に借金の申し込みはせず知り合いからもお金を借りず。で、自分を追い詰めた。

 

迷惑をかけたかどうかなんて迷惑かけられた人が思うことなのに。

まあ、借金の申し込みは人に迷惑と思われる案件ではありますが。

 

私なんかは人に迷惑かけっぱなしで(あ、お金は借りてませんよ)まわりが「あの人のそばにいたら迷惑かけられる」と避けているのではないかと被害者意識のほうが強い人ですから、「人に迷惑を掛けないように生きている人」から見れば「甘えてるぜ、あなた!」と思われているかもしれません。(あ、でも甘えているぜ!あなたという思うは被害者意識かも)

長所の共感能力を使って世をわたっていかないといけないわけです。

しかし、共感能力が役立つのって被害者意識の解放の時だけなんですよね。

加害者意識の時って共感能力が必要ないといいますか・・・。

 

もう10年ほど前になりますが、主人の父親、私のお義父さんが亡くなられたんですね。交通事故で。濃霧の時に近くのお寿司屋さんに注文していたお寿司をとりにいき、あまり車がこない道をわたっていたらひかれてしまった・・・。

犯人はすぐ出頭して葬式のときにも顔をだし、謝られたんですが家族は「もう謝られても父親は帰ってこないから。毎年線香だけでもお墓にあげてください」とだけ静かに言って犯人を責めなかった。

その後犯人は良心の呵責から離婚し精神的に病んでしまった・・・。

この犯人は加害者意識を持ちました。

人によったら「濃霧で歩いていて横断しているほうが悪い!僕は被害者!」という人もいるかもしれません。被害者であればよりそう感情を色々考えることができます。

しかしこの犯人の加害者意識に寄り添うことって口では簡単にできないんですよね。

ただ、自分の気持ちを納得させるまで行動で償ってもらうしかないんですよね。

気にしている人に「気にするな」は寄り添ってませんから。

 

 

まとめ

社会的常識な加害者的立場になってしまうと罪を償うための人生となります。

それは重い荷物を背負って生きていくようなことを思います。

しかし、そうならないように生きるということは自分で行動を狭めてしまう。

迷惑をかけたと思うのは相手の感情なのに勝手に自分の感情として思い込むわけですから。

加害者意識は共感してくれる人はまずいないと考えたほうがいいと思います。

共感してくれるのは身内ぐらい。一族と思っている人ぐらい。連帯意識がある人ぐらい。そう、加害者意識の共感には連帯意識が必要です。

ジャイアンが加害者意識でふさぎ込んでいたら仲間が共感してくれて仲間と共に罪を償う感じなストーリーを想像しますね。

一方のび太の被害者意識はドラえもんにカウンセリング的に共感してもらうことで癒されるストーリーを想像します。

被害者意識には個人的な共感、加害者意識には連帯的な共感が必要かもしれないなあとしみじみ思いました。

 

ほな、また。

 

 

 

 

 

 

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