快楽とどのように付き合うか。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
心地よい音楽との出会い
先週、歌謡のコンサートをちょろっと見てましたら、お!と思う歌声が聞けました。
その歌声の主は「畠山美由紀」さん。
顔つきは珍しいくらい昭和な雰囲気です。
この作品に出てきそうな顔つき。
この方なんですけどね。
髪型は変わっています。
心地よいハーモニー。
真剣な姿勢。すっかりはまりました。
youtebeで他にどんな歌を歌ってるんだろうと色々聞いてますと、この方にも
出会いました。
【高音質】蘇州夜曲/アン・サリー(Japanese Jazz singer :Ann Sally 「sosyu ...
心地よい嫌味でないそっと寄り添ってくれる歌声です。
ずっと聞いていたい歌声です。
心地よい歌声は本人は周りにそうさせたいわけで出しているわけではないと思うのです。本人が気持ちいいからと思うんですね。それをみなと共有する。
自己快楽を皆と共有する
民俗学をななめ読みしていますと、よく出てくるのが芸能と遊女と巫女との関係です。
巫女の起源は遊女にありという考え方があります。
歩き巫女というものがかっての日本には存在し、どこの神社にも所属せず遊女をしながら口寄せをして全国を行脚していたようです。
また唄や踊りを神社にて行うものは遊女としての役割もあったという説もあります。
天宇受売命(あまのうずめのみこと)はストリップをしてたら賑わってその賑わいに興味をもったアマノオオテラスがちょろっと岩戸をあけたらこじ開けられたという話もありますが、うずめさんはストリップをしようと思って踊っていたわけではなく神とつながり全身の力をぬけ快楽に身を預けていたらストリップになっていたのではないかと思うわけです。
神へとつながる=快楽(全身の力をぬいて身を委ねる)
こういう式が出てくるわけですね。
この式を受け入れられたもの(または選ばれし者?)が心地よい歌声を出すことができるのではないだろうと思ってきたんです。
そうでないと人前で己の快楽を晒けだすなんてそりゃこっぱずかしい話しですよ。
全身の力をぬいて身を委ねたら快楽だけが残るのか
北陸に瞽女(ゴゼ)という女性の盲人芸能者がいました。
その歌声は快楽というもではなく悲しみを背負ったなんともいえない歌声。
全身の力をぬいて芸をするわけですが心地よさがすべて出てくるかというわけではないんだなと思いました。
まだ、この映画見てないんでぜひ見てみたいですね。
まとめ
歌を歌うことに何を求めているか。
快楽なのか?
快楽を人と共有することの恐怖とは?
自分をなくすことの恐怖とは?
そんなことが頭の中にでてくるわけです。
考えても答えなんかでないのにね。
趣味でやっていた歌。歌いたいという気持ちが沸き起こらなくなってもう何年も経ちます。
子どものころなんかただ歌いたい!と思ってTVに映っているピンクレディーにあわせて必死に振付をしながら歌ったもんです。
しかし、大人になると「意味づけ」したくなるんですよね。なんでも。
ただ、歌いたいなという気持ちがちょっと変化しつつあります。
子どもが見ているドラえもんやスティッチの主題歌を歌うと楽しいから。
ほな、また。
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