毎日会っていて歌を聴いていたらこれでわかるかも。
まいどです。
でくのぼうちゃんです。
ちゃんと言わなくて(書かなくて)も通じることはいいことだろうか
上の写真は週3回やっているカラオケの会で参加者の方に唄いたい歌を紙にかいて
もらうんですが、書いてもらったもの。
なんの曲かわかりますでしょうか。
かなりの省略がされております。
「は」なもあ「らしも」→「花も嵐も」
これを書かれた方は初めての参加でどんな歌を歌うのかまったくわからなかったのでご本人に確認しました。
「花も嵐もだよー」
こりゃ聞いてよかった。
けっこう、こういう感じで曲名がアレンジされてかかれていることがあります。
長年、時間をともにしていたらだいたいわかります。
こういうのが時間を共にすごしてきた結果かもなーとちょっと嬉しく思ったり。
しかし、勝手に思い込んでしてしまうとせっかく相手を知るチャンスなのにそのチャンスをなくしてしまうのでちゃんと確認しますが。
親との会話がほぼなかった
子どもの頃の私はまあ、内弁慶で。
親といっしょに居間にいて新聞をとるとき、ちゃんと「新聞とって」と言えばいいものの「ん」だけ。また、親もその「ん」でわかるもんだから言葉を発する必要がない。
家族なんか一緒にいる時間はだれよりも長くなりますから、時間の共有の結果なわけなんですけど、家族以外の人と過ごす時は言葉が必要になりますから、どう話せばいいかわからない。
だんだん、家族と過ごすのはいいけど他の人と時間を過ごすのが苦痛になってきて、
学校が休みの時は友人とそんなに遊ばず部屋で借りてきたビデオばっかりみていました。
高校になってバイトして、人と話さないとやっていけませんからだんだん人と話すようになりました。
喫茶店のウェイトレスをやりまして、そこはみんな(店員もお客も)仲が良かったので
楽しい青春時代を過ごすことができました。
親とはあいかわらず会話がありませんでしたが、まあそれは思春期だったのかもしれません。
しかし、そこのバイトをやめ、正社員になり、そんな仲良しこよしでする職場なんてありませんから、また休みの日に借りてきたビデオをみる休日を過ごす子にもどってしま
いました。
親とも話さず、会社でもそんな私語はできず。
隠れ引きこもりですな。
30代になってまじ引きこもり主婦になりかけましたが。
普段から声を出さないと声はでない
いま、私は釜ヶ崎で仕事をさせていただいておりますが、説明をするのがうまくない人に対して「障害をもっている」と思う人を時々見かけます。
1人で暮らしていて誰とも話さない生活を長いことしていたらそりゃ、声も出ないし
人に説明するために生きているわけではないですから説明できないのは当たり前なんですけどね。
上の曲名を書いた人だって普段、紙に字なんか書くことがないわけで、それを突然書いてねといわれて書いたんですからちゃんとかけなくて当たり前なのです。
漢字なんてスマホ入力ばかりしていたら忘れていて、突然書かなくてはいけない状況に
なったら誤魔化そうとしてしまいます。
声を出す環境はどうすれば出来るのか
声を出せない人を無理やりださせるために薬を飲んだりするのはどうだろうかと思うことがあります。
カラオケの会の参加者を見ていますと最初は小さい声でしか唄えなかった人が火、水、木と通うようになり自分が歌いたい唄を歌う。
最初は自分の声が思い通りにでないことに驚いていますが、だんだんのびのびとした声が聞こえてくる。
周りのおっちゃんたちも誰もやじを言わず、盛り上げたり、太鼓持ち感想を言ってくれて気持ちよく歌わせてくれる。
見てて周りの人の対応は大事だなーとしみじみ思います。
まとめ
正しく曲名を書くのなんて別に必要ないんですよ。
要はわかればいいんですから。
その時に楽しくコミュニケーションできればなお、良し。
笑いの神が降りてきたらいいですよねー。
正しさだけを求められてギクシャクするより。
しかし、世の中は責任問題も絡んでくるのでそんなわけにはいかない社会。
正しさを求める社会より融通できる、される社会のほうがいいよなー。
上の曲名を書いてもらった紙をみてそう思いました。
ほな、また。