噴水は人工的なものですが。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
感情は湧き出るもの
喜怒哀楽と簡単に言えば4つの漢字で表されていますが、感情はかなり複雑なものと思います。
喜び混じった怒りとか哀しみ混じった喜びとか。
まあ、そんな簡単に表現できないものですが、噴水のように湧きださせるものでは
ないような思いがあります。
演劇では湧きださせないと演劇になりませんから、感情を湧きださせますが、普段は自然と湧き出てきますよね。
人は喜びや楽しみのような一緒に味わっていい感情には受け入れようとしますが、悲しみや怒りは一緒にいるとまあ怖いししんどいからあまり味わいたくない。
そのため、周りのことを考えると怒りや悲しみの感情が湧き出てきたら抑え込もうとする。
そんな抑え込みばかりやっていたらなんでその感情がわくのかを考えないわけですから結局対処になってしまいますね。
怒りに対しては特にややこしいしこの頃はいちゃもんつけ的な怒りもありますし。
もっと怒りに対してどう向き合うか考える社会のほうがいい。
本来は家庭で教えるべきことだと思いますが、私も含め怒りに対しての向き合い方がわからない人が多いと思うのです。
この人はなぜ怒っているのか、自分には非がなかったか、怒った人にはどのように向かい合ったらいいか。
クレーム処理的な対処で向かい合うのではなく。
私なんかも自分に怒った人にどう向かい合っていいかわかりませんでした。
勝手に相手が怒っている。
私はわるくないもん。
そんな感じでした。
なぜ相手が怒っているかわからないこともありました。
大人になったら悪知恵ついて「人権」という盾をもって相手と戦おうとしたりしました。自分をよく見せようとして。
クレーマーという人が世の中にはいるようです。
学校に言ったり、病院に言ったり。
「人権」という盾をもって戦って世の中を変えようと中にはいるかもしれません。
しかし、そうでない人もいるでしょう。
何かを得るために「怒り散らす」。自分を正当化させるために「怒り散らす」。
私は「怒り」にきちんと向き合った教育をしていかないと自分の「怒り」とどうつきあったらいいのかわからなくなるのではと思います。
怒り散らすのではなく、「怒り」をどうすればいいか。
社会的なために役立たせるのか。
自分を大切にする教育に対してのことは色々読むのですが、「怒り」に対してはいかにコントロールさせようということをよく読みます。
確かに怒りをそのままぶつけたら「損」なことは多いかもしれませんが。
感情的になったらなにがしたいのかわからなくなるからある程度の怒りの出し方は考えたほうがいいかもしれませんが。
怒りを抑え込むのとは違うからこれは難しいなあと思うところもあるし。
ただ、きちんと自分を正当化せずに相手の怒りを受け止めることとはどういうことかを
考える教育はしてほしいなあと教育機関に願ったりします。
出来るだけ親が教えられるようにはしたいですが。
まとめ
相手の出方をどのように受け止めるか。
誠意をどのように表すか。
相手はなにを求めているか。
出来事によって「怒り」の大きさは違います。
ただ、人の「怒り」と闘ったり適当に対応したり逃げたりしていたら自分の怒りを受け入れられないし人に向かい合えないなあと思いました。
ただ、怒り散らす人ときちんと怒る人の区別はつけたほうがいいなと思いました。
そうでないと大変だ。
なんか今日は(いや今日も)まとまんないなー。
ほな、また。

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