今週のお題特別編「嬉しかった言葉」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉
うれしい言葉をいわれると、こんな顔したくなりますね。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
嬉しいという感情が湧いてきたとき
「嬉しいときってどんな時でしたか?」
こんな風に聞かれたら皆さん、すぐ返答できるのでしょうか?
私だけかもしれませんが、中々ありませんでした。
楽しいや悲しい、悔しい、恨めしいなどという感情は結構頻繁にあるんですが
「嬉しい」という感情って日常のほんと小さな出来事すぎてあまり記憶に残っていないようです。
いや、そんなことはないだろうと真剣に振り返ってみてなんとか出てきました。
私は心から「嬉しい言葉」を言われたらすぐに相手に「嬉しい」と言わないようです。
ぜったい言わないようです。
しかし、根底にジワーと感じていたら後で「にやり」とするようです。
めんどくさいやつですね。
私が「嬉しい」と言っていたらそれは軽い嬉しいと思ってください。
その時は「嬉しい」といいたかったのだと思いますが、記憶にはありません。
後でニヤリとした言葉とは
私はここ4年前から不定期で「表現活動」として「一人劇」をしています。
「憑依表現」という言葉で表しています。
子どもが生まれる前に1回、生まれてから1回。
きっかけは人前で私を全力でだすという企画に参加させていただいたことでした。
最初、ただ歌うだけでしたがなんか不完全燃焼。
やりたいのはこんなんじゃない・・・。
その企画をまとめる人も「もっと全力で!」という要望を行ってきました。
全力でなにをする。自分をなくすことか?
私の体質として「憑依体質」というのがあります。
じゃあ、自分をなくして憑依させたい霊に入ってもらい表現してもらおうか!
結果、思い切り感情を出すことができなにかが浄化したようで心はすっきり。
以来、そのやり方で表現しようと、浄化したい気持ちが固まったら、電車の中で脚本を書き、セリフを風呂で覚え、一人劇を思い立ったらやりました。
最後に公演してから年数がたっているんですが、そのことを今も言ってもらうと
心の底から私は嬉しいようです。
後でニヤニヤしています。
自分が全力でやったことを覚えていてもらえることがこんなに嬉しいとは思っていませんでした。
表現を認めてもらうことは全力で自分をなくしてだしきること
私の好きなアーティストで「ギリヤーク尼ケ崎」さんという方がいます。
路上パフォーマーですが、その空気感はなんともいえません。
ギリヤーク尼ヶ崎/念仏じょんがら [HD] Gilyak Amagasaki / Nembutsu ...
この方は、個性が強すぎてどこにも所属できなかったようです。
で、一人で路上でする。
なぜか悲しさがあるパフォーマンスです。
もう結構なお歳なんですが、パフォーマンスが始まったその存在感はすごかったですね。尊敬の念がわきました。
まとめ
自分が出したいものを出し切る。
自分をなくしてとことん出し切る。
自分が納得したものを出す。
それがいいか悪いかは見るほうが判断。
表現はやったもん勝ちです。
表現なんですからなんでもありなんですよ。
出し切った表現の周りからの評価、「ぎゃー!!」の劇といわれようがなんでもいいんです。覚えていてくれてたら。
私が嬉しかった言葉はそれですね。