まいどです。でくのぼうちゃんです。
なにかを育てることは大事
この頃の投稿は「心に湧き出るもの」であったり「出会い」であったりと
なんかありましたか?あなた!と思われるような投稿をしています。
まあ、あったから書いてるんですけどね。
40代半ばにして私にはこれが今までわからんかったんだなあということがわかってきたような。自分一人の力ではなく、人との出会いであったりして。
39歳で息子を産んで育てていますが、この「育てる」ということで色々学ぶことがあります。
それは自分がやりたかったことを若い時はなんで「育てる」という発想がもてなかったのだろうということ。
私は学生時代「夢をもてない」人だったんですね。
なんで持てなかったのかがわからない。
まあ、自分がなかったんですから「持つ」という意識もなかったのでしょうね。
小学校の時は、絵を書くのが大好きで授業中、ずーと絵を書いておりました。
先生の話なんかまったく聞いておりません。
ノートの余白といいますか周りの白いところを全部埋め尽くすイラスト。
なぜ、書くか。ただ、書きたいから。うくようになります。ノートにコマ割りなんかして。授業中に。がっつり。
それが先生にばれました。そりゃ、一番前の席でやっているのですから。
教室から出ていけといわれまして。
あ、こりゃ出て行ったらやばいなと出入り口のところで両手で出されないように阻止をしました。先生は出て行けと背中を押してきます。
まあ、がんばって教室からは出されませんでしたが、授業中漫画描くのを禁止されたような。
ただ、絵は描きたかったのでどうしようかと考えました。
美術部の先生になるという夢をもったらいいのではないか。
いつでも堂々と絵を描けるのではないか。
そう考えた私は、美術の先生に「どうしたら美術の先生になれますか?」と
手紙を出しました。
帰ってきた答えは「毎日デッサンして先生に見せてください」。
それから私は毎日デッサンして先生に絵を見せにいきました。
先生は絵に点数かAとかBとかなんか書いてくれました。
毎日、何書いたらいいかわからなくとりあえず楽に描けるものということで
手を毎日デッサンして先生に見せにいきました。
手だったらいつでもかけるし。
しばらく続きましたが、中学受験やらなんか描きたくなくなってきて自然に消滅して
いったながれです。先生からもとりたててなにも言われませんでした。
中学になり、いろんな街から集まる私立に入学しました私はそこで自分の画力のなさに
落ち込むことになります。
また、情けないことに画力のなさを受け入れて努力すりゃいいものを「努力するのはかっこわるい」なんていう思いがありました。
親からしたら努力したいと思わないならやめなさいといった感じです。
まあ、クラブが演劇でしたから紙に書く表現から立体的になったこともあってあまり
必要性を感じなかったというのもありますが。
ただ、あの時、絵を書くことから逃げたということが30年たった今でも心に残っている状態です。
細々く書いていればいいものを。ちょっとずつ育てていればいいものを。
絵をかけば周りが見えなくなってしまうのではないか、周りに迷惑かけてしまうのではないかなんていう変な思いが湧いてしまうのです。
息子にせがまれて
今日、息子に「母ちゃん、これ描いて!」とせがまれました。
ドラゴンですよ。
空想世界、大好きな私は「よっしゃ!」と書き始めましたが、みごとはまってしまいました。
おもしろいやないか~。
息子のお友達のところに行って書いてたんですが、そのお友達のお姉ちゃんにやたらほめられ図にのってしまいました。
絵を書きだすと、ここどうなっているのかなと前には書いててもなにも思わなかったのが色々と湧いてきます。
この絵をどのように展開しようかなんて。
おお、これは新たな展開。
そう、今まで絵を書いてなかったのがこの展開なんだよなー。
書いて終わって作品捨てるって感じだったもんなー。
まとめ
重要なのは好きでやったことをどのように展開するのか(育てるのか)ということではないだろうかと思うんですね。
44歳になってまた理解しました。遅いのかしら、早いのかしら(笑)
どのように育てるか。
星の王子様のバラを育てることの重要さ。
それって人との付き合いでもあるし。
でも、いつでも湧き出る心ではないだろうし。
湧き出たらそれを「どうせ無理」とつぶすのではなく、とりあえずやってみる。
歳を重ねるといろんなことが見えてくるんだにゃー。
いいね、歳重ね!
ほな、また。
- 作者: サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,河野万里子
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