3柱。まいどです。でくのぼうちゃんです。
スピリチュアルと自己表現と不動産
私のスピリチュアル好きとスピリチュアルで痛い目にあった話はブログでぼちぼちしてます。
スピリチュアル好きな時はいろんな本を読みました。
オーラやチャクラの概念に興味を持ってよくこれらの本も読んでいました。
7つのチャクラが人間にはあり、そのひとつひとつに意味がある。色も影響。
その意味や色、アファメーションを読むのが大好きで毎日読んでました。
ハイヤーセリフや高次元の自分の話なんかもあり、そんな概念を受け入れることによって、なんでもやらないとわからない!的なイケイケドンドンな心持ちになる一方、なんか大切なものが入ってないような気持ちになっていってましたね。
スピリチュアル的なものを受け入れている時は。
ハイヤーセリフ、高次元な自分は天からなのだろうから、地に足をつくことを学ばないといけない…そう思ってしたことは、宅建士持っていたので不動産業の仕事に就くことでした。
不動産の仕事をすることによって、差別であったり、相続や滞納、貧困、社会のありとあらゆる社会問題を知ることができました。全く知りませんでしたから。
それと並行にしていた歌を歌うことをしていたから、自分を失わずにやってこれました。声を出すことがよかったようです。黙々と一人カラオケし続けたおかげで口周りの緊張感、鼻周りの緊張感がとれ、楽に声が出るようになりました。
スピリチュアルはしばらく封印していましたが、50になり、もういっか、と思ってスピリチュアルの概念を再び読み返すようになり、考え過ぎな思考を楽になるようにしようと思ってます。
スピリチュアルにはまっていた私をしばらく離れようと思った出来事は、ある「絵」でした。
それはどんなにお世辞に言おうとしても感動を与える絵ではなく、子どもの落書きのような絵だったのですが、それが12000円で売られていたんですね。
有名人が書いたわけでもなく、ただスピリチュアル好きな人がこれを見たら癒やされますよ!みたいな売りで。
確かにゆるゆるで癒やされるかもしれないですが、私の心の奥底のなにかが、「それは違う!これを受け入れちゃいけない」と。
その思いを受け取ったおかげで、今、師匠の指導を受け入れることができました。
人はみな価値があるのだから、表現にもみな価値がある、以前はそう思ってましたが、価値にも質があるということが師匠から指導うけて7年目でやっとわかってきました。
また、不動産屋なんかの価値なんてのも自然なものではなく、人工的なものですから、価値なんてものはええかげんなものだと言いたいですが、なにかが入っているものはなにかが違う。それがオーラと呼ぶものかもしれませんが。
価値なんてものはええかげんなものかもしれませんが、人によって違う、大切な人が使っていたもの、他人からみたらゴミかもしれませんが、そうじゃないものもある。
そんなことを教えてくれたのは、不動産業の家財処理でした。
何かを学ぶために私にはスピリチュアル、自己表現、不動産業務は必要なんだなあと今、しみじみと思っていますよ。
ほな、また。