ボランティア。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
善には対価を求めない考えについて
私は仕事で人が言う「善」行為をやっています。
その仕事は、時たまボランティアさんからの依頼があります。
住まいをなんとかしてやってほしい。
ボランティアさんにも思いが色々あって本腰いれてボランティア活動をし、生活費を別の仕事をして稼ぐというかたもいらっしゃいます。そんな生活を何十年もやっている方は慣れていて、こちらも対応しやすいのですが、中には若くて仕事も安定していないのに、ボランティア活動に専念されている方がいます。
そんな方の相談を断ることもできませんからなんとかしようと頑張るわけですが、入居後が大変でこちらもその方が連れてきた人に付きっきりになれませんから、結局その方に対応を引き続きしてもらうしかありません。
脳思考が6歳くらいでフラフラで野生児みたいな野宿の女性
いつも支援して思うのが、生活保護を申請して決定までの何週間、介護やら看護やらの行政報酬制のシステムがなにも使えない。すべてが決定してから。
その何週間、部屋には入居できたけど入れただけ状態。
対価発生しない支援を誰もしない。するのはボランティア。
見た目でもうコミュニケーション取れないほど脳の萎縮してるのに。
善には対価を求めない青年も心が荒みますわ。
引き受けた彼が悪いのか、引き受けなかったら彼女はどうなっていたか。
その生活保護申請してから決定まで、誰も動けない期間をなんとかならないか。
居住支援法人は報酬制でなく、助成金制で申請した団体が金銭を得られるわけですが、
うちみたいに一人でやっているところは提出書類に潰されるのが目に見えますから申請してません。相談はどんどん来ますが。
今、昨年度何人(のべではない)に対応したかを出しましたが170人と出ました。
契約以外の支援がかなりある統計。
居住支援でどのように運営費を稼ぐか。
善と呼ばれている行為をし続けるのに運営費が必要です。
贅沢をするためではなく、運営費。
これをどうわかってもらうか。
課題だわ。大きいなあ。
ほな、また。