でくのぼうちゃんのブログ

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愛とはいつのまにか怖れを手放してしまった後の果実?なんてね。

LOVE

いろんな人種がいると思います。

まいどです。でくのぼうちゃんです。

愛があれば

「愛」って言葉ほどええ加減な言葉はないと思います。

人それぞれ感じ方がちがうと思うのです。

言葉にしたら簡単なことですけど、そんな簡単なもんでもない。

愛している、好きとわかりやすいものから、

裏返し的なものもありますし。

ただ、私は「愛」がある空間って安心で自然に笑顔がこぼれて楽しくてまた、味わいたいものだと思っています。

大切にしたい空間。守りたい空間。

私の身近なもので考えると週3回行っている「カラオケの会」がけっこうその空間に近いのではないかと思ってます。

周りの人には「よく頑張っている」とか「飽きないね」とか声をかけられますが、

頑張る理由もないし、飽きる理由もない。

ただ、週3回やり続けられることができる。

来てくれる人がいるから、やり続ける。

待っていてくれる人がいるから、やり続ける。

別に媚びることもなく、ただ来てくれる人がそして自分が楽しい空間になってくれれば。安心して歌を楽しく歌えれば。ただ、それだけを考えてもう8年。いや、9年だったかな。わからなくなってきた。

あまり、記録を残すほうではないので以前活動を発表したときは、そりゃ苦労しましたが。

そのカラオケの会、参加者の皆さまに支えられているんですよ。まじで。

参加者に媚びてるわけでもないんですけどね。みなさん、ほんま優しいんですよ。

それがけっこういい感じの愛のある空間となっています。

あまり、お金をかけなくてもいい感じ。

愛というものはなんでしょうね

この頃、よく考えます。

いきなりなにかの衝撃を受ける出会いもある。

だいたい3か月たったら別れる出会いもありますが、深まる出会いもある。

相手を尊重するということはいきなりできるもんでもないけれど、たくさんの時間をかけてもできるもんでもない。

なにか、きっかけで「お!」と感じることができて「なんかいいぞ」と思えて、

「とってもいいぞ!」と深く思う。

しかし、その反対もあって最初は「お!」と感じても「なんかいいのかもしれない?」と直観で思っていることは押し込んで「感謝しなければならない」とか「好きにならなければいけない」とは「~ねばいけない教」に入ってほんとの思いがわからなくなって

「もしかしたらいいのではなく、いやなのかもしれない」と何年後かにわかるケースもある。

愛と思っていたら愛じゃなかった。

何年後だから「間違えてた!ごめんね!」と軽くあやまるにはいろんなことがあって

そんなに簡単に謝れない。

子どももできていたら「なんだ!愛していなかったのに子ども作ったのかよ!」みたいな突っ込みも入るし。

愛というものが本物かどうかは何年後かにわかるもんなんでしょうか。

我が家は子どもができたきっかけでわかったのですけどね。

ただ、愛がある空間は「お金」はそんなに必要ないなということはなんとなくこの年になってわかるようになってきました。

3畳一間でもそこに「愛」があれば物はそんなに必要ないような。

「言葉」もそんなに必要ないような。

まとめ

仕事にしろ、私生活にしろ、私はこの「愛」がなければどうやら気力が湧かない人間なようです。

「愛」があればそんな儲けなくても、そんな贅沢な暮らしでなくても、相手がどんな人であろうとも許してしまう。(臭すぎたら難しいかもですが)

それがいつまでも続いたらいいんでしょうけどね。

ただ、愛することは頑張ることではないような。

「愛とは、怖れを手放すこと」

いや、「怖れをいつのまにか手放してしまった後の果実」のような。なんてね。

ちなみに、私はなんも宗教はやっとりません(笑)

ほな、また。


美輪明宏さん 「愛の賛歌」

 

愛するということ

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