気付きがありましたよ。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
そういえば40代以上とばかり話している
仕事で高齢者の人とばかり話しています。
聞く音楽も懐メロばかり。
先日、「無法松の一生」を聴きまして。
この歌の歌詞でこういう歌詞があります。
無法一代 涙を捨てて
度胸千両で 生きる身の
男一代 無法松
歌われた方がこういう生き方をされてきた方でして、それは結構
説得感がある歌いぷりでした。
学歴や資格で守りに入るのではなく、常に自分の度胸で
一生懸命生きてきた。
こんな唄を説得感ある歌いプリがある若い人いないだろうなあと
ふと思いまして。
そう思ったら、10代20代の若い方々はこの歌をどう思うなのだろうかと思いました。
その時、気付いたのは私は10代なんかもうかれこれ一年近く話してないし20代も後半の人ともう一つバイトのところで5分程度話すくらいしかない。
あと保育園の先生とあいさつ程度。
そう10代20代は挨拶程度しか話していない。
あとはほとんど平均65歳以上。
30代はママ友でちらほら、40代くらいもちらほら、50代くらいもちらほら。
しかし、偏りすぎてる~。
そんなことに気付きました。
思考も年寄り的になるな~。
しかし、40代の私が「無法松の一生」を理解しているかといえば、私が思う「男気」と
70歳の方が思う「男気」はまったく違うでしょう。
「おんな気」なんかもう、高齢者の思っているものとはあまりにも違うでしょうね。
そんなことに気付きました。
与えるよりも
年下と付き合ったことありませんからよくわかりませんが、イメージではどうも「なにかを教えてあげる」みたいな立ち位置になるのかしらと思ってしまいます。
皆がみんなそうじゃないとは思いますが。あくまで私の妄想として。
しかし、私などは教えてあげるものはなにもありませんからそんな立ち位置には立てない。それよりも、たくさん知っている知恵のある高齢者からいろんな知恵を学びたいという思いの方があります。
高齢者の方とのお話はけっこう面白い。
年下の人との話は、会話してないので知りません。
すごく若い人でも「なにかを教えてあげよう」とがんばっている人もありますが、私からしたらまったく説得力ないのでどうも受け入れがたい。
しかし、付き合う年齢が偏りすぎると思考も偏ってしまいますね。
新しい人の思考を受け入れる発想がわかない。
温故知新が柔軟な発想を湧き出してくれるとは思いますが。
まとめ
10代や20代の若い人たちと付き合う機会はあまりないので、仕方ないかとは思いますが
話す機会があれば柔軟な大きい心で話をきこうではないかと思っております。
どうしても「やったことあんのか~?なにみたんや~?」みたいな突っ込みを入れたくなってしまいますが。
「知らない」といわれたら会話ストップしてしまいますけどね。
まあ、そこは自分の頭を柔らかくしといたほうがいいかもですね。
自分の頭も凝り固まってしまいますしね。
ほな、また。