でくのぼうちゃんのブログ

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孤立に対応した社会が向かうのは「drone of war」か

http://www.flickr.com/photos/54650720@N05/5546905509

 

離れているのにいろいろできますな。

まいどです。でくのぼうちゃんです。

こりゃーちょっと怖いなー

こんな映画もうすぐ公開になるんですね。

www.drone-of-war.com

予告編を見ただけで、こりゃ現実になるかもなー、いやなってるか?と思いました。

クーラーがきいた部屋で遠隔射撃。判断はまるでゲームのように。

ゲームじゃないんだぞ!と上官みたいな人が諭す。

10月1日から公開ですが、情報吸収がいい私には影響ありすぎて眠れなくなってしまいますのでビデオ出てからこっそりひっそりみたいものです。

遠隔での操作があたりまえな世の中

気が付けば遠隔で色々できることが当たり前な世の中になってますね。

電話にせよ、ネットで情報をみることや写真を見ること音楽を聴くことなど。

私が生まれた時代には電話もTVもすでにあったわけなんですが、今の世代はパソコンがすでにあります。

以前私は痛い記事を書きました。

皆さんから痛いコメントをたくさんもらいましたが、今となってなるほどなーと思いました。

ネットde真実という言葉もわかってきました。

結局、TVであろうがパソコンであろうがそれはすべて一緒で電子紙芝居なんだということが。

評論が言える情報だけ得られ評論してしまう。

実際、そこには汗水たらしたものはない。

5感で感じたものは得られない。

それがいいか悪いかは別としてにはなるんですが。

それがいいと思う社会だからこんだけTVにせよ、パソコンにせよ、携帯電話にせよ

普及しているんですけど。

その世界が広がって情報として欠けてしまう感覚

嗅覚と触覚と味覚と聴覚ではないだろうかと思うんですね。

視覚だけを使う。

釜ヶ崎のことを文章で書いてますが、皆さんに伝わらないのは

「におい」と「ゆるやかな時間の流れの空気感」と「静けさ」

これは圧倒的に阪急御影駅おりて山側の住宅街とまったく違います。

「におい」なんかはやっぱり臭い。とくに6月湿度が高いときなんかじめっとして臭い。

あと人と人とが触れ合って生まれる何かは伝わらない。

それが伝わるような表現ができればいいですけどそんな表現力は持ち合わせていません。

その感覚が得られないことを理解してTVやらPCを電気紙芝居と受け止め娯楽として

使うのだったらまあ、ありだなとは思うのですが、この頃の社会はなんだかそうではない。

いろんな情報を出すのに人が読んで感情が動かされ行動するかを製作するほうもがんばっている。

SNSにしても。

会って人を説得するのが平面媒体でできちゃう。

これが当たり前になってくるとドローンを使ってなにかをするのも当たり前になってくる。

何をするかを考えるより遠隔で何をするかに力がはいる。

だから上記の戦闘スタイルも想像しちゃう。

でも、上記戦闘スタイルは視覚だけでおこないそこには他の4感覚はない。

その4感覚は戦う相手と共有するものなのに。

 

そう共有感覚がない。

 

これが一番欠けてしまうのだろうなーと今、書いてて思いました。

 

ちょっと反省

今の自分はちょっとスマホにせよ、PCにせよ使いすぎているかもしれないなーと

思いました。

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 SNSにしてもちょっと見過ぎているかも・・・。

目的があってみるにはいいけど、情報をだらだら読んでいるだけ。

他にすることがあるのにねー。

スマホを見ていると息子に「じゃま!」と取られて投げられてしまいます。

「そこは僕が座るの!」と。

息子に教えられますね・・・。

まとめ

孤立に対応した社会になったと考えたらいいんでしょうかね。

1人でいててもなんも不自由はない社会。

1人でなんでもできる社会。

1人でなんでもできることを連帯している社会。

失敗しても自分一人だけの責任となる社会。

でも、成功は皆で連帯。

うーん、色々思うことができてましたがまとめられませーん。

ほな、また。

 

 

 

 

 

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