光がさす風景っていいですね。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
釜ヶ崎で働くことになったきっかけ
私が釜ヶ崎に縁があったのはいまから11.2年くらい前です。
当時の私はリフレクソロジーのサロンに勤めていたけど癒しをするのが疲れていた生活でした。お金持ちにリフレクソロジーをするのは自己愛をサポートしているような気がする・・・いっちょ前にそんな思いがありました。
そんな時、たまたま新聞を読んでいますとこのことが書いてある記事が。
この地域通貨を使ってヨガ教室に参加という記事でした。
お金がない人でも何かの行動をしたら地域通貨が得られてその通貨を使って様々なことができる。
お金を得ることができない状況の人(路上生活者)が社会と触れることができるいい企画だなと思いました。
路上生活者を「恐い」という発想がまったくありませんでした。
さっそく問い合わせ先に電話し、釜ヶ崎に足を向けました。
当時の私は「釜ヶ崎」の存在をまったく知りませんでした。
知らぬが仏とはこのことです。
親からもそんな話はきいてませんし(親からは差別はするな教育はうけてました)
学校で詳しく聞いたこともありません。(いや、話していたのかな?)
とりあえず、話す先の人が「釜ヶ崎」にいるということで行きました。
まず私の印象は、「異国にきたみたい」。
JR新今宮駅を降りてすぐに労働センターがあり横に南海電車の高架があります。
高架下ではかっこよくいうとフリーマーケットのような露店がいっぱいありました。
この釜ヶ崎に行く前に韓国やタイやらに行ってました。
その時に道に迷ったりしてとんでもないとこに行ったんですがその風景とよく似ていました。
しかし、そんなことは気にせず話す先の人のところへまっしぐら。
その人からある団体の長の人を紹介されました。
この団体が今の委託先となって続いています。
一番最初にあった人も町ではかなりの力がある人だったようで今思うと入口正解!なルートをたどったようです。
その団体の施設で週1リフレクソロジーのボランティアをすることになりました。
そのボランティアをするためにこの釜ヶ崎の地に来ていたんですが最初の2.3年は駅からその施設に行くだけ。周りをみようともせずやることやったら帰るという感じでした。リフレクソロジーを受けたおっちゃんたちとは仲良くなっていきました。
よく「ここに来るのに怖くありませんでしたか?」と聞かれますが不思議なことに
先にも書いたように「怖い」という意識はまったくなくなぜか新今宮駅降りて信号わたると「安心」という思いが湧き出てきたのです。
何かに守られているというか、怖くないというか。
よく「何かに守られていると思いなさい」という人がいますが、思い込むよりそれは自然に出てくる地さえあれば気が付いたらそう思っていると思います。ひとりごとです。
そこでボランティアをしているときも私生活はサラリーマンしていましたから結構メンタルはぼろぼろでした。釜ヶ崎で癒されて帰る、そんな感じなボランティアでした。S不動産でパワハラをうけてずたぼろだったときもきてました。
で、辞表をだしさあ、辞めようかとなっていたときある人から「ある施設で働いてみませんか」とお声掛けをいただきました。
それが、3月まで雇用されていた施設です。
それから8年、働くことができ自分がやりたいことも見つかり社会について働くということについて色々勉強することができました。
とある出来事。
こんな働くきっかけを思い出したのが、とある出来事があったからです。
前の職場で年に1回けっこう大変なイベントをやっていました。
私としてはやりがいがあり地域の人が楽しんでくれるならと結構積極的に動いていました。しかし、3月で雇用は終了してそのイベントに参加も教えてもらわないとできないよなーどうしようかなーと考えていました。
いつも金曜日は釜ヶ崎にこず自宅で事務整理を行っていたのですがその日はある用事があって出向くことに。その用事も終わりさあ、帰ろうと自転車をいつもとめている
アパートにとめようとしたらお世話になっている人に偶然出会いました。
その人から「今日2時からその会議よ!」と教えてもらえたのでした。
もう帰ろうと思っていた時に偶然出会った人から教えてもらいびっくり。
その人に出逢わなければそのイベント会議を知ることもなく参加できない状態になっていました。
目に見えないものの導き?
いや、ほんまそう思うしかない出来事でした。
まとめ
開業して「あれもしたい!」「これもしたい!」と色々したいことが出てきてちょっとかるい躁状態になっていましたがこの偶然な出来事のおかげで「今やることを一生懸命やっていたらいいんじゃないか」と思うようになりました。
今やるべきことをやっていたら目に見えない守ってくれるなにかから導きがあるんじゃないか。
その導きを台無しにしないように無理なく無駄な怒りはしないようにしたい。
そう、私の欠点は無駄な怒りをしてしまう。拗ねてしまうというか。
無駄な哀しみもしないように。中原中也の「よごれちまった悲しみに」の悲しみですね。
冷静に熱く生きたいもんです。
ほな、また。