どれが自然かわからない世の中。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
自分で育てたものを食べる気になれなかった
以前、庭にハーブやらプチトマトを新婚の時に育ててました。
まあ、雑誌に載っている節約術を私もやってみようではないか!というノリです。
苗を買ってきて庭に埋めて水をやれば育っていきます。
それなりに実も付きました。
しかし、当時の私はそこまでしかできませんでした。
実ったものを食べるという発想がなかったのです。
食べるどころか食べることが怖かった。
自分で育てたものを食べることが怖かったのです。
どんだけ自分に自信がないねんという話になりますが、
ただホームセンターで売ってある苗を買って土に埋めて水をあげただけですから、
自分の考えなんてまるでないわけですよ。
どんな苗がいいのか、どんな土の状態がいいのか。
近くに工場が立ち並ぶアパートの庭っていうこともあったんですけど、
ちゃんと管理されている畑で実ったものを食べたほうがいいのではないか。
そう思ったのです。
管理されているほうが安心という考え
人それぞれ、考えは違って当たり前なんですけど、当時の私は管理されることが素晴らしい、安心という考えを持っていました。
心は自由が好きなのにね。
ちなみに私はいて座なんですけど、よく書かれているのが「探求心がある自由人」という言葉。そんな私なのに、自分の体に入れるものは徹底的に品質管理されたものを食べたがる。
だから、自分で育てたものの管理されていないトマトは食べられなかったのです。
水の管理も水道水だし。土の管理もただの庭の土だし。
管理されることには愛があると思っていました。
今は真逆ですが。
自然農法でできたもん大好きっ子です。ようそんな価値観が正反対になるなあと自分ながら思います。
ただ、別に管理されたものが悪っていうことを言いたいわけではありません。
私は管理には愛があるという考え方によってちょっとしんどくなった時期があって。
パワハラとか受けた時に心を管理できない自分が悪いと責めちゃいまして。
色んな仕事を管理できない自分を責めちゃいまして。
たいそうしんどくなったんですね。
管理するより湧き出るものを自然に受け止めたほうが楽
子どもが生まれて「食」について色々勉強したり自身がイーストコネクションになって
カンジダ菌とはなにかを勉強して、管理している食べ物よりされてない食べ物のほうが
安全ではないか?と思うようになりました。
発酵食品なんてしょっちゅう蓋あけてみてたら発酵なんてしませんし。
ある程度の放置が必要になってきます。
菌に任せるといいますか。
そうすると自然に任せて自然を信じて受け止めたほうが自分にはあっているんではないかという思いが出てきました。
すると、自分で育てたものもなんだか愛らしく思えてきて。
今ではすぐにもぎって食べることができます。
心も管理できないと自分を責めずに湧き出たもんは仕方がないと受け止めることができ
だいぶ楽になりました。
できるだけ管理されていない自然に任せた食物を食べ、人工的なもの(例えば香料)
は使わず皮膚や腸内などにある常在菌に任せる。
でもやりすぎよりも無理なくがいいようだ
以前は徹底的に自然食だ!とがんばっていた時期もありましたが、がんばりすぎてまわりを不信な目で見すぎてしまってました。
そうすると人間関係もぎくしゃく。
相手の話しも聞けなくなります。
考える(理論)よりも感じたことが大事。
食も一緒でやりすぎよりもある程度、美味しい!感覚も大事だなと思うようになりました。舌がマヒしていることもありますけどね。
香料が入ったものはまったく受け付けなくなりましたので体を信じようかと思うようになりました。
まとめ
生まれた時から自然ではない環境の中で育ってきてますので何が自然かわからなくなってますが、年配の方のお話なんか聞くと「ああ、これが自然という環境で育った感じなんだろうなあ」と思うことがあります。
私なんかもう舗装された道路が当たり前な世の中で育ってますから。
水道も管理されて当たり前な暮らしですから。
ただ、時どき行く蒜山などで過ごすと自然の湧き水って美味しくてきれいだなあとしみじみと思うことがあります。
心も湧き水と同じなんだよなー。湧いてくるんだよなー。
無理して心を作らなくてもいいんだよなー。
この頃のこのブログのテーマが「湧き出た心を大切に」にしているのでこんなネタを書いてみました。
澄んだ水ばかりでなく泥が混じった水も湧き出るわなー。
心はコントロールできたらそれはそれでいいかもしれないけど、湧き出る心でどうしても管理できないものはそれはそれでいいと思うなあ。
だれに言ってんだ、わたし。
ほな、また。