むっちゃ目をみて話していますな。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
釜ヶ崎に来て学んだこと
大阪西成あいりん地区別名「釜ヶ崎」で働きだしてもう10何年。
とある人はこの地域で働くことを「釜ヶ崎大学に入学した」という表現を使うんだよと
以前、とある人から教えていただいたことがあります。
卒業はこの地域で働かなくなったら。
大きく学ぶと書いて大学と描く。
確かに学ぶことがありすぎます。
日本の社会や歴史をたんまり教えていただく機会に恵まれました。
しかし、一番この地域で学んだことは「コミュニケーション」ではないだろうかと思っております。
この地域に住んでいる人たちは難しい言葉でややこしくすることがありませんし、
皆さん、正直でまったく変に頑張ってなく暮らしている人が多いです。
確かに心病んでいる方もいるにはいますが、私にはあまり縁がないようで。
知っている人がいたら声をかけ挨拶をする。
基本中の基本ですが、これが気楽にできるのです。
無理して働かなくていいじゃないか~。
生きていればいいじゃないか~。
まあ、このセリフは色々なとらえ方がありますが、70過ぎた方からこの言葉を言われると「そうだよなあ」とやたらと説得力があります。
無理してがんばって自分をつぶすより、気楽に生きて友人と遊び、友人が困っていたら助けてあげる。それでいいんじゃないか。
そう、仲間を大事にする。
仲間とのコミュニケーションを大事にする。
お金だけではないもの。
それを大阪西成釜ヶ崎に来て、すごく学んだように思います。
礼節以上のなにか
形だけの礼節よりも目にみえないつながりを重要視する。
挨拶も手をあげるだけとか。
「いつもお世話になっております~」なんて言葉は必要ありません。
それが必要な世界もありますけど。
あるおっちゃんが「朝から友人が来て、4000円貸してくれ~とせがまれた」といっていました。話を聞くと昔の仕事仲間で時々くるんだといっていました。
貸してあげたの?と聞くとちゃんと返してくれるから貸したとのこと。
貸し借りな関係だけど、お互いなんかつながっている感じ。
その方のお部屋は3畳一間。狭くないの?と聞くと、3畳一間が丁度いいんだ、これ以上広すぎると住みにくいと。
3畳一間で仲間とのつながりがあるこの地域が気楽で住みやすいとのこと。
広さとかをなんやかんや思うのはつながりが希薄な人なのかしら。
コミュニケーションを学びたい人はこの地域に遊びにきたらいいと思う
一回だけじゃなく。何回も。
がんばらなくても、顔見知りになったら向こうから声をかけてくれる人ばかり。
皆さん、人懐っこいのです。裏がないし。
難しい知識や言葉なんか知らなくても人とつながりあえる。
なにかを与えようと頑張らなくても自然と与えたい気持ちがわいてくる。
無理ない範囲で。
資格なんかも必要ないし。大事なのは人が何をいっているのか聞こうとする姿勢。
まとめ
まあ、なんでこんな投稿をしたかというと、先日息子をつれて釜ヶ崎に行ったんですが
色んな方が声をかけてくれる。
息子には「ちゃんとあいさつするんだよ」と教えることができて、いいなこの地域と思ったんですね。
私が住んでいる地域でも朝、地域の方が交通整理みたいなことをしているのですが、挨拶がまあ中途半端。お互い知らない人同志というのもありますが、私も中途半端な挨拶しかできないし、息子も挨拶しないし。
しかし、釜ヶ崎はどなたもがっつり近寄ってきます。がっつり近寄られたら挨拶するしかありませんし、させるしかありません。
そんなことがあってコミュニケーションを学ぶには釜ヶ崎だなあとしみじみ思ったのでした。
ほな、また。