でくのぼうちゃんのブログ

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子どもを育てて初めて「相談」とは何かがうっすらとわかった。

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photo by Stefano Montagner - The life around me

大人の価値観と子どもの価値観はちがいますね。

 

まいどです。でくのぼうちゃんです。

今日、ちょっと息子に相談したら納得してくれたことがありました。

現在我が家は大人1人、子ども1人で構成。

現在我が家は旦那と別居中で子ども1人と大人1人で構成されています。

だから、話し相手は息子しかいないわけですから色々と話をします。

you tubeを見ながら思ったことを言い合ったり食べたいものをきいたり。

以前は大人2人子ども1人の構成だったため、どうしても大人2人がわかる言葉で

ちゃっちゃと物事を決めてしまい子どもの意見を聞いていませんでした。

大人の私からしたらそのほうが楽です。わかってくれないと腹が立つこともできます。これが子どもだとわかってくれないのは全部自分の説明の仕方が悪いと自分に跳ね返ってくるわけですから子どもに腹が立つこともできないわけです。

しかし、そのような状態が子どもにいいわけではないことは自分が一番わかっていました。なぜなら、私の実家が「大人がなんでもきめちゃう」家だったのですから。

相談とはどういうものか知らなかった。

子どもの私は親から相談をされた記憶がまったくありません。

話し合うということも記憶にありません。

どこかに行くときはすでに行先は決まっており、子どもはただ車に乗るだけ。

乗ってついたところが行先。乗っている間の道中は私一人だと会話し合うこともなく

私は後部座席で横になって眠り、起きるときは最終地点についている時でした。

私には4つ上の姉がいます。

4つ上だからかわかりませんが姉と一緒に遊んだという記憶がありません。

私が小2の時には姉は小6。有名進学塾に通っていて朝6時に起きて勉強していて休みのときは塾に通いということをしていました。私は一人で遊ぶか同級生と遊ぶということをしてたと思います。

そのため、姉と相談して決めるということもしませんでした。

「相談」ということの必要性を知らなかったのです。

何か物事で問題が起きても自分ひとりで解決しなければいけないと思っていました。

中学になっても「相談」は無意味で結局自分でなんとかしなければいけないのだから

と思っていました。

 

社会人になると「相談すること」の目的が変わる。

社会人になり、職場の人に相談するときは「関係性を深めるため」に自分でも解決できるけど「相談する」ようになりました。

また、人を見るために「相談する」ことを行い相手の出方をみて人間性を図るための

手法として「相談」を利用するようになりました。

相手を尊重するための「相談」はまだわかりませんでした。

子どもができて初めて「相談」とはなにかがわかる。

子どもと二人で暮らしていると明らかに子どもと大人の価値観はちがうなあということがよくあります。

大人は「目的」があって行動に移しますけど、子どもはただ欲求から行動するようです。はさみ一つ使うにも大人は何かをするための道具としてはさみを使いますが、こどもはただはさみで何かを切りたいがためにはさみを使います。

布団を引くときに布団を積み重ねることをしますが、子どもはその上にのって「すべりだいをするの」といいますが大人の私は「そこからはすべるかなあ」と言いました。しかし、子どもは「すべるの!」といいゴロゴロと転がりました。その転がりが

彼の「すべる」だったようです。大人な私は「すべる」ということは「すいぃー」と

滑り台から滑るような状態を思い込んでいたわけです。

明らかに大人と子どもでは価値観が違うわけです。

だから、子どもの価値観を尊重する必要が出てくるわけです。

で、子どもの意見を聞く。それが「相談」なわけです。純粋な。

何かを計算するために相談するのとは違いどう転ぶかわからないわけです。

また、子どもに説明するときは私が理解できていないと説明できません。

「仕事に行く」ということも「お金を稼がなければいけないから」と行っても

子どもは理解してくれませんでした。

私が「仕事に行く」ことを「お金を稼ぐためにいかなければいけないこと」と

思っていたようでした。

 

で、今日は説明の仕方を次のように替えてみました。

 

「お母ちゃんを必要としている人がいるの。だからその人たちのためにお母ちゃんを貸してあげない?」

すると息子は「うん!わかった!」と返事をしてくれて保育園にいつもより嫌がらず

行ってくれました。

 

子どものおかげで色々わかる。

「相談」というものがまったくわかっていなかった子ども時代。

中、高校、大学までは相談せずに物事を勝手に決めていっても「個性がある奴」で

笑って許してもらえてました。

しかし、社会人になるとそういうわけにはいきません。

「報告・連絡・相談」を欲求されますし。

相手を尊重するなんて口では簡単に言えますが、実際相手を尊重していなかったら

行動ではできません。まねごとはできても。

子どもの意見を聞くということをするようになったきっかけは、ある人に「そのままでは息子さんは引きこもり予備軍である」といわれたのもきっかけの一つです。

人との出会いはいつ起こるかわかりませんね。

子どもを育てることで私も育てられているように思います。

まとめ

私が「仕事」というものはどういうものかをちゃんと理解して相談すれば息子も理解してくれるということがわかりました。

子どもに相談するということは親が物事に対しての理解を深める必要がほんとあるなあと思いました。

 

しかし、物事に対して理解することは結構時間がかかるしめんどくさい作業です。

親が勝手に相談せずに決めたほうが楽です。

しかし、私の実家のように子どもの意見を聞かずに大人がなんでも決めてしまう家庭の子どもはかなりの孤独感がでてきます。

私自身も、兄弟がいながらもかなりの孤独感がありました。

大人になり、自分が子どもを育てて初めて親の気持ちがうっすらとわかるようになりましたが。親も仕事が忙しかったのでしょうね。

なんでも親が決めたほうが早いと思っていたようですね。

 

できるだけ私が味わった孤独感を子どもに味わせたくないですが、こればかりは

子どもがどう感じるかですのでわかりません。

もし、子どもが大人になって「僕はすごく孤独感があったんだ!」と責めてきたら

素直に謝ろうと思います。

 

ほな、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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