これをいつの時点で誰に言うかで人生は変わると思う。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
駆け込み寺というもの
江戸時代までは寺というものは檀家制度もあり各村での役割は精神的安息を得られる場所というところであったようです。
江戸幕府公認の縁切り寺(駆け込み寺)もあり、夫側からしか離縁を認められていなかった江戸幕府において妻側からの離縁を受け入れるために、鎌倉の東慶寺、群馬の満徳寺が妻にかわって夫に示談をすすめ、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなって足掛け3年経つと寺法にて離婚が成立するシステムがあったようです。
寺のお坊さんに相談することもあったでしょう。
その時代のお寺の特権はいろいろなものがありました。
そのころの仏教は本山ー末寺の寺格制度を導入し、各宗派の本山を通じて仏教界全体を統制していました。檀家制度もあり、「宗門人別帳」を作成し国民の管理を行っていました。幕府はキリスト教根絶が目的であったようです。しかし、キリスト教とは
縁がない村人は当たり前かのように檀家に入っていました。今でも宗教は自由ですが
檀家制度は残っていますね。(檀家の数は激減しているようですが)
余談ですが、お布施を与える人(寺のスポンサー)は「檀那」と呼ばれ今の「旦那」の語源の由来だそうです。へぇー。
旅や住居の移動の際には「宗門人別帳」の証文(寺請証文)が必要とされていました。寺が人生の管理をしていたようですね。なにかあったらお寺さんに相談しようと
村人が思うのも自然な流れでしょうね。幕府側からしたら「キリスト教はいねがー」というのを探していたようですけど。
明治に入り、「廃仏毀釈」が行われるようになってしまいました。
廃仏毀釈は、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを示す。
「廃物」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。日本においては一般に、神仏習合を廃して神仏分離を推し進める。
それまでは、神社とお寺一緒でいいんじゃね?ということもあって神社の存在を
大切にしていなかったようですが、江戸時代末期から「国学」などで「日本の宗教は神社にあり!」という考えがでて、明治に入り神道を日本の宗教とするようになった
わけです。で、仏教による国民管理は仏教界に力を与えるだけということでなくなったようです。神社合祀(神社整理)も行われました。複数の神を祀っていたのを一つの神にしたり一つの神社の境内にまとめたものでした。(神社合祀は明治39年)
それに対して、菌研究の第一人者である南方熊楠は反対運動を起こしました。
神社を減らしてはいけない。自然を大切にしよう!村人の心のよりどころをなくすな!
和歌山県はそのかいあってかかなり神社が残っています。
自然も沢山残っていますね。和歌山大好きです。
お寺や神社が村人の駆け込み寺として機能したり心の休息に用いられるということは
福祉が発展していなかった時代、とても重要なことだったと思います。
現在は、福祉で行政は駆け込み寺的機能を作っていますが、時代が「排金主義」に
なってしまったか「お金がなくちゃなにもできない!」ということで
お金をくれるスポンサーの価値観に丸め込まれている施設が多いように感じます。
さて、前振りが長くなりました。
でくのぼうちゃん、ヘルプをだす。
毎週土曜日、息子を連れて職場に行っています。
職は部屋を借りてある団体の職員として居場所づくりを行っています。
別に居場所づくりなんだから息子が来てもなんら問題がないと思い連れて行っていました。
しかし、それをよく思っていない人たちがいたようです。
上司より去年11月くらいに呼び出され「土曜日に子どもを連れてくることをよく思っていない人がいる。年内は目をつぶるが年明けからはなんとかしてほしい」と
言われました。私からしたらなんで職務外で来ているのにそんなことを言われなくちゃいけないのか!と言い返しましたが世の中はそういうもんと訳の分からない説明を受けました。そして職員にあいさつをしなさいといわれたのでその週の会議に菓子折りをだし、皆に「土曜日子どもを連れて行きますのでご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」と頭をさげました。
そして、子どもを連れて行っていましたが先日「今度の土曜日これからのことで打ち合わせをしたい」と上司にいわれました。
子どもを連れてきているのに打ち合わせなんて無理!と思いましたが、その打ち合わせはもう一つの団体の打ち合わせで他の職員がいてたら色々言われるということを
あり、土曜日の朝にと指定してきました。
子どもを預けたらそれだけで5000円以上の出費となります。
今は家計はキツキツでその出費は大変いたい。
でも、どないかしないと!
有給を使って日払いをゲットしようかと思い上司に相談したところ
「毎週休まれては困る」と言われました。それではすべての有給が消化できない
と詰め寄ったところ月2回ぐらいだったらいいと変な了解を得ました。
ああ、日払いゲットも難しそうです。
私の職場周辺地域には「駆け込み寺」と呼ばれている児童施設があります。
そこは行政に対して目をつむって丸め込まれておらず、目をあけてきちんと
向かい合っている施設です。ちゃんと政府に言うべきことを言います。
そこの職員さんが以前通わしていた保育園(一番目)で顔見知りというのもありました。彼女は私と同じように保育園で母乳をあげにきていました。
その施設と彼女のことを思い出しました。
ああ、もうそこに駆け込むしかない!
相談にいって事情を話しました。
すると、目から涙がポロポロポロポロこぼれました。
「大丈夫、預かるから!!親は付添いいらんから!」
そういってもらえて安堵からか大泣きをしてしまいました。
お金がからまない地域に根付いた駆け込み寺は必要。
その施設の職員はその地域に根付いていてどういう人かという人柄を
見ることができます。その人柄を見て相談をしようと思いました。
確かにお金を払えばいらない気を遣わなくて済みます。
しかし、ほんとやばい時に相談いくのにお金のことを考えないといけないのは
なんともいえない気持ちになります。
お金がないから働きにいくのに。
お金をもらって運営をするということは当たり前のことです。
ただ、利用者からお金をもらわずに運営するという施設も各町に一つぐらいあっても
いいと思います。そしてその職員はその地域で生活をし、人柄を住民が見ることが
できる。どんな人かわからないのに相談することは本当は怖いことなのです。
これから
以前通わしていた問題があった保育園も考えましたがやはり金銭が発生するということで今の私には難しいです。そして私の行政不信はまだありますし。
これからはその施設に土曜日子どもを見てもらって仕事に集中します。
その施設には息子が1歳半まで通っていた保育園の園児たちも遊びにくるので
息子のことを覚えている子どももいるでしょう。
4月からは私の環境も変わるので色々と考えるところです。
私の安堵感はお金には換算されないほどです。
これから分譲マンションの荷物を出す作業や貸し出してだんなが家にやってくるなど
我が家はいろいろなことが起こります。
一つ一つを解決できるようにその安堵感を得たことで前に進めることができると
思います。
ほな、また。