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でくのぼうちゃんのブログ

雨にも負けず風にも負けずオロオロしながらだいたい毎日更新中!!

考え方:「普通に生きる」こととは何かを学ぶために人は被害者・加害者意識を持つのだろうか?NHK「耳をすませば」米倉斉加年より

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雪かきは大変です。しかし、山の生活ではそれが普通な行動なのでしょう。

山から30日に帰ってきました。

まいどです。でくのぼうちゃんです。

なぜ、私は激動を選択したのか?そんな疑問が湧いてきた。

今年になってはてなブログを始めて早や、3か月。

何年か前に「はてな」の名前は知っていたのですが正直、「質問を投稿するところ」

と思っていました、まじ。

だから、「ああ、私はそんなに質問ないからはてなには向いてないなあ」と思っていまして何年も過ぎました。

で、今年なにを思ったのかブログをはてなで作ってみようと思い立ちつくりはじめまして。

で、ブログの楽しさを知った次第です。皆様ありがとうございます。

誤字脱字がありえないほどひどい私ですが、皆様のブクマやスターのおかげで

何とか毎日ブログを続けてこれています。

 

2014年に私がお別れしたものは世間では欲しがっているものかもしれない。 - でくのぼうちゃんのブログ

 さて、このブログで2014年に起こったことを振り返りました。

激動の一年でした。

ほんとに激動すぎてフラフラです。

そんな激動をなぜ自分は選んだのか?

今日、ふとそんなことを考えました。

自分は「普通に生きること」を放棄したのか?

普通とはなんだろう?

今年最後の日にそんな思いがわくきっかけのTVを見てしまいました。

これもだれかが私の人生をどこかで見てコントロールしているのでしょうか?

普通に生きることの難しさ

山の家では朝からTVをつけています。朝起きてリビングに行くとNHKの「耳をすませば」が放映されていました。

 


NHKネットクラブ 番組詳細 耳をすませば 第2回「米倉斉加年・赤瀬川原平」

 

私は米倉斉加年さんを前々から気になっていました。肩書きが確か「俳優・絵本画家」となっていました。絵本の挿絵がいいのです。俳優業もいいのですが。

 

多毛留〈たける〉 (米倉斉加年)

多毛留〈たける〉 (米倉斉加年)

 

 

 

押絵の奇蹟 (角川文庫)

押絵の奇蹟 (角川文庫)

 

 

 

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

 

 これらの本の挿絵担当です。線一本にこんなにエロティズムを表している画家は

そんなにいないと私は思っています。

そんな絵を描く米倉さんが演劇をして師とあおぐ宇野重吉氏に「普通にしなさい」と

だめだしをされた話を言っていました。

中、高校と演劇部で少し演劇のことをかじっている私はこの「普通にする」という

演技がかなり難しいことであるということをちょっとわかります。

「演技」とは所詮嘘ものなわけです。その嘘ものの感情を普通に出すということは

そうとう下調べをする必要があるのです。それと妄想と。

中、高校の私がそんなことに気付くはずもなく「演技した演技」をやって

先輩にしょっちゅうダメ出しをされました。

まあ、できなかったから今の人生があるわけです。

演技において「普通とは何か」を追求した米倉さん。

人生においても「普通とは何か」を考えられたようです。

そんな米倉さんが普通に生きることの難しさを切々と語っていました。

 

何かが普通に生きることを邪魔する。

それが、「差別」であったり「空腹」であったり。

米倉さんは弟を終戦後の食糧難に栄養失調で亡くされています。その弟のミルクをこっそりと飲んだことを絵本にされていて外国で朗読した様子が映し出されて

いました。

涙腺が弱くなったようで、その話を聞いて涙がでそうになりました。

親がいたので抑えましたが。

歳とともに涙腺が弱くなるようです。

私じゃ、そんな話話せない。

自分がミルクを飲んだから弟を死なせたことを告白するわけです。

しかし、米倉さんは告白できるのです。

自分を客観的にみつめ、自分を責めずにいることができるほどそれについて

考えたのだろうか?そういう思いが湧いてきました。

そんな映像が流れ、またそのなかで「何かが普通に生きることを邪魔する」という

ことをおっしゃっていました。

「普通に生きる」

普通に生きたままだったら「普通に生きている」ということがわかりません。

普通じゃない人生を歩んだから「普通に生きる」ことが何かわかる。

「普通」とは何かということを悟る。

米倉さんは「普通に生きていない」時期を過ごしてきたから「普通に生きる」とは

何かがわかったのだろうか?

私は今年の激動期になるまで「普通」の人生を歩んできました。

だんながいて子どもがいて分譲マンションに住んで...。

しかし、それが「普通」ということがわかりませんでした。

「普通」ということを感じさせる何かがなかったのです。

「普通」ということを感じさせる軸

同じストーリーの人生でも軸があればそれは「普通」の人生になると思うのです。

しかし、私は軸がなかった。

自分を生きていなかった。

世間ではこれがあたりまえ、こんな生活が幸せですよという言葉の他人軸で動いていました。

だから、何かがおかしいという感じが湧いてきた。

で、この激動の一年を選択したように思えてきます。

まだ、答えは出せませんが。

自分はどう思うのか、どうすれば納得するのか?

自分軸があっての、だんながいて息子がいて分譲マンションがあってのストーリーだと別居しようという気がおこらなかったと思うのです。

「普通の人生」を一生懸命自分軸で歩いていたらそんな思いが湧く余裕はないでしょう。

特異的な人生は人を充実させる。

変な話、被害者意識を持って「私はこんなことされてこんな人生を歩んできたんですよ!それを知ってほしいために頑張るんです!」という人の人生は充実していると思うのです。

私もそれですし。人生を充実させたいがために被害者意識を持つ。

被害者意識をもって自分の人生を生きることは被害者である自分のみを納得させる

生き方をするわけですからどこにもそんな納得方法は書いていません。自分を見つめることをしないとできません。

別に自分の弁護をするわけではありませんが

被害者意識をもった充実した生き方もありだと思うのです。

それを体験しないと学べない何かがあるわけです。

被害者意識を持った人が私の攻撃をしてくるのはかないませんけど。(笑)

加害者意識を持った人もそれをもつことで充実した人生を過ごすことができると

思って選択したわけですからその意識をもって生きて何かを学ぶ。

そう、自覚を持って被害者意識・加害者意識を持つ。

自覚を持たずに被害者意識、加害者意識を持っている人いるよ!という人もいるでしょう。そういう人も普通の人生から離れている人かもしれません。

被害者意識、加害者意識がどういうものかわからないのですから。

また、一番普通の人生から離れている人は被害者意識も加害者意識をも持つのを恐れて自分をごまかして生きている人だと思うのです。見た目はその人らが一番普通に見えますが。

そんなことを米倉さんは伝えたくてインタビューで普通についてお話されたのかなあと思いました。

 

いま、普通に生きる

いま、普通に生きる

 

 まさか、N○Kさんが「米倉さん、こんなふうに答えてくださいよ」と言って

米倉さんが「OK!」ってな感じはないと思いますが。

なぜNHKさんがそんな米倉さんの姿を放送しようと思ったのかわかりません。

今年亡くなった方の中に米倉さんがいたということで「米倉さんといえば普通だ!」ということで取り上げたのでしょうか?

そう思うとNHKに対して被害者、加害者どちらかの意識を持った方はどんどん行動したほうがいいよね♪と思います。

我が家は普通に向かっているのか?

さて、別居という選択をとっている我が家ですが、年末年始は家族3人水入らずな時間を過ごす予定です。

今日、久しぶりにだんなに会いました。

どうやら私はだんなのことが嫌いではないようです。

だんなは散髪にいくときまって兵隊さんのような坊主頭になります。

私はその姿のだんなを見るとうれしくなります。

なぜかは理由はわかりません。

普段、離れて生活しているせいかたまに家族でいると夫という役割は

とても大切かもしれないと感じるようになってきました。

今日はやたらと旦那がやさしかったせいもありますが。

TVを見て、ご飯を食べて息子と旦那はお風呂に行きという何気ない日常。

普通の生活。

今年最後はそんな普通の生活を味わおうと思います。

本年は皆様お世話になりました。

いい年の瀬をお過ごしください。

 

ほな、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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