近所できれいな赤の葉っぱがありました。
読まれる題名つけようにもつけようと思えば思うほど中身がなくなる。
今日は、息子が今時分昼寝をしだしたのでブログが書けます。
さて、お題目なんですが、こう思っちゃったんですよね。
せっかくブログを書いているのだからブログを読んでもらいたい。
それで、いろいろ検索して調べてみたのですが、
「題名できまる!」みたいな題名があって
そうなのかぁといろいろ考えてみたのですが、
考えれば考えるほど、私の性分としてなにをブログで書きたかったのか
わからなくなってきました。
みんなに読んでもらいたいと「こんな情報いかがですかぁ?!」と書こうと
思うと手がとまる。
情報提供するほどの人格でもないし、ましてや情報提供することが
マニアックすぎてしまう。
知り合いから、私の考え方はカルト的だから世の中の人に受け入れられ
ないと思うよ、ということを言われました。
確かに、氣にせよ、あいりんにせよ世の中では大きな口を開いてしゃべる内容では
ない。
そもそも、なぜ私が「氣」や「あいりん」に興味があるかというと
おもしろいから。
しかし、このおもしろいからというのは私の中の感覚でしかなく
世間の人に共有できるかといったらそうでもない。むしろ「おたく的」
では、私はブログに何を求めるかというと、きれいに作られていない実体験の話。
実体験の話を何故読むかというと、小説のような「ああ、こういうことを思う人が
いるんだなあ」という気持ちを知ること。
きれいに解説づいたブログはどうも字をおえない(興味がわかない)ので
スルーしがちになっています。
実体験にもとづいたことをブログに乗せている人は題名を読まれるように
考えているのかなあ。
こうやってブログについてあれこれ考えてみる。
とりあえず、なにが正解かわからないので思ったことや情報など
書きたいことをブログにあげていこうと思った次第でございます。はい。